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【10】てのひらの闇(前編)



 奇跡のようなバランスで構成されている一方で、人間の感覚というものはひどく曖昧な部分があるという。
 例えば痛覚だ。
 体の何処かに傷があると仮定しよう。痛覚は生命活動への支障を告げるための重要なシグナルだ、当然傷は痛む。(言わずもがなだが、この場合麻酔を使用している場合や、致命傷であっさり死に至る場合は除外する)
 ここで、別の箇所にさらに強い痛みを与えてみる。すると不思議なことに、前者の部位に感じていた傷の痛みは『分からなく』なってしまうそうだ。
 分からなくなったからといって、傷が癒えたわけではない。小さな傷ならば自然に治っていくが、それなりの傷なら的確な処置が必要だ。
 心もまた然り。
 外傷の手当てを怠るがごとく、痛みを痛みで誤魔化して上塗りを重ねていくようなことを続ければ、心も少しずつ本来の形から歪んでいく。


 ―――さて、ここに一人の子供がいる。
 適度に不遇でそこそこに悲惨、言ってはなんだが非常によくある話だ。
 両親との縁の薄さに早々に見切りをつけて思慕の対象を他へと移し、
 不要と判断されるよりも引き金を引くことを選び、
 失うことを恐れて自分のものではない呼び名に返事をする。
 比較し選択し切り捨てて、痛みをなくそうとしてはさらに傷を作り、泥沼へと嵌まりこんだ。
 見ないふりをされた痛みは澱んで凝り、やがて『てのひらのない男』として象徴化する。
 子供はもう、何を失くしたのかわからない。





 ふと気がつくと、江間は黒猫と蝶を模した看板の前に立っていた。
 明け方にアミーゴで流茶野と別れたのが午前5時過ぎ。部屋に戻り、シャワーを使って死んだように眠り、きっかり6時間眠って12時過ぎに目を覚ました。
 部屋にいると際限なく落ちる気がしたのでふらりと外へ出たのだが、あてどなく歩いているうちに、足は無意識に半年間通いなれた道を辿っていたらしい。
 カフェ【A crossroads】。 
 鎌倉へ来て最初に居ついた暖かい場所。
 今日は土曜、本格的に忙しくなるのはもう少し後だろうが、そろそろ人が入り始める頃だ。人手が必要な日だと分かっているのに、江間は店に入るのを躊躇った。
 とても暖かい場所。最近は人も増えて、どんどん賑やかになっていく。皆笑っているこの場所で、辛気臭い顔をして気を使わせたくはない。
 空元気も元気のうちというのが江間の持論だったが、昨日亘理に指摘されて以来、人前ではかろうじて取り繕えていたそれも保てる気がしない。 
 今日は―――今日も止めておこう。
 ここは楽しいことをするための場所だ。ちゃんと上がったら、また来よう。
 しかし踵を返そうとしたところで、箒と塵取りを持った蜜琉と行き会った。

今週は忙しかったの? 野獣さん

 糊のきいたシャツを着て、赤いスカーフを首に巻いたギャルソン姿で蜜琉は首を少し傾げて笑う。ここ数日カフェへ顔を出さなかったことを指しての台詞だろうが別段責める風でもなく、悪戯っぽく笑う顔に江間は目を細めた。眩しい。
 色の入っているゴーグルでよかった。まともに目が見られない。曖昧に笑い、こないだはごめんね、とだけ答える。

「今日は?」
「…これからアミーゴいこっかなって」
「…そう、」
「…いい防具探しててさ」

 ほんの少し寂しそうに微笑まれて、訳もない罪悪感で一瞬喉がつまった。訳もない罪悪感―――否、なくはない。笑顔でいてほしいのに、心配そうな顔をさせてしまう。
 いつもそうだ。
 いつもいつも、自分の都合ばかりで傷つける。守りたいほどの信念などないくせに、自分である証を立てることもできないくせに、自分を捨てきることもできない。いっそ身も心も本当に   になれてしまえたら、少なくともあの人とあの人は幸せにできただろうに。それすら出来ない、何も何も何も何も何も。


 うおおおおおおおん うおおおおおおおおおん
 鬼哭―――が、断末魔へと変わる。


 不恰好な肉の塊を打ち倒し、ガン、と鉄槌を打ち立て自分も動きを止めた。戦い方としては決して賢くない、終始力押しによる捻じ切りだったが、それでも危なげなく終わることが出来るのは叩き込まれた技術と、積み重ねてきた修練の賜物。逆を言えばそれだけ。
 頬にぬるりと液体の伝う感覚に眉をひそめ、無造作に手の甲で拭う。こめかみに一発くらった傷から滲んだ血が、ゴーグルを伝って流れてきたのだ。そこへと意識を集中させれば、蟲が傷へ向かってうごめく感触がした。やがて血は止まる。何も問題はない。
 ぐる、と右肩を回して首を鳴らす。まだいける。もう一度。次はこの奥へ行こう。
 声をかけられたのはそのときだった。

「―――良将ちゃん?」

 聞き違いでなければそれは、先ほどまで思い浮かべていて―――そして今一番会いたくない人の声だった。
 翻る赤茶の髪、瓦礫の中でも危なげなく響くブーツの音。
 瞠目する江間に近づいてくるのは、間違いなく昼間別れた蜜琉だった。ラストから始める時に都合のよい非常階段から入ってきたらしく、ひるがえる男物の制服やその髪に、まだ戦闘の跡はない。

「…あれからずっといたの?」

 あれからずっと? あれっていつだ。ああ昼間の。
 そういえばそうだと思って頷いた。アミーゴ、リターン、ラスト。繰り返して繰り返して繰り返していた。

「…大丈夫?」
「? うん。どうして?」

 首を傾げて笑い返す。
 しかし蜜琉はいつものように笑みを返すことなく、心配げに眉尻を下げる。

「今日は、おしまい?」
「ン、このままラスト」
「じゃあ、あたしも一緒に行っていい?」

 勿論、とは答えられずに一瞬答えに詰まる。

「…ごめん、今オレちょっと機嫌悪ィ。」

 寂しげに瞳を曇らせる蜜琉に言葉が途切れるが、付き合わせて不愉快にさせるよりはマシだと構わずに続けた。

「その―――あんまり気も回せねェし、一緒に行っても面白くねェだろうし、だから」

 どこまでも自分のことしか考えられない状態がわかっているから―――『一緒に』は、また今度。
 あまり強い拒絶になってないといいと思いながら何とか伝え、蜜琉の答えを待たずに踵を返した。どんな顔をしているか見たくなかった。
 再びアミーゴの中へ入ろうとして、後ろから足音を聞きつけてすぐに立ち止まった。振り返ると、蜜琉がぴたりと足を止める。

「…てんちょ、お願いだから」

 蜜琉は微かに首を振る。横へと。
 普段恐ろしいほど察してくるのにどうして、と江間は僅かに苛立つ。

「頼むから」

 知らず懇願の響きを帯びた。聞き分けのない子供へ向けるような。
 それでも蜜琉は首を振る。今度は先ほどよりきっぱりと、何か決めたように、再び横へ。
 普段言葉を尽くして気持ちを伝えてくるタイプなのに、今日に限って彼女は何も言わない。
 どうして、と言いかけて、集まり始めた気配に舌を打つ。大きなストライドで蜜琉への距離を詰めると、強引に手首を掴んでGTの外に出た。何にせよここはまずい、すぐにゴーストに囲まれる。
 鉄柵を抜けて非常階段を抜け、建物の影へと移動して向き直る。

「言うこと聞いて、」

 額にあげていたゴーグルを乱暴に首にひき下ろすと、塞がりかけていたこめかみの傷が開いて血が伝う。
 目に入りそうになり鬱陶しい気分で横に拭うと、蜜琉の手が傷へと伸びた。

「…ここ、怪我してる、」

 伸ばされた手首を咄嗟に掴んだ。

「――――いい。いらない」

 てのひらに集まりかけていた蜜琉の白燐蟲がぱっと散り、ふわりと頬をかすめた。
 頭の傷は出血が多く派手に見えるが、これは大した傷ではない。現に塞がりかけていたし、本業ほどではないにせよ江間もまた蟲を使う。
 だから不要だ。
 それだけの意味で言ったのに、蜜琉は傷ついたように目を揺らし、僅かに睫を伏せた。どんな目的であれ今までの自分は、彼女に対して明確な拒絶を伝えた事がなかったことに江間は気づかない。
 ただどこかを傷つけたことだけ悟る。
 どうして、と苛立つ。だから言ったのに。来ないで欲しいと伝えたのに。

「…いつものことなんだ、たまにすげー落ちるっつか、オレもともとそういうのあって。いらねェことばっか考えるし、自分のことばっかになって、」

 常ならば江間を幸せにする蜜琉のすべてが、今は感覚を刺すように刺激する。
 何か言いたげに開いては閉じる艶やかな唇に、拒絶が悲しいと揺れる瞳に苛立つ。まっすぐで健やかな精神、感情を素直に映してくるくる変わる目、しかし決して不躾になるほど踏み込んではこない距離の取り方、培われた気遣い。
 惹かれた全ての要素が呪わしいと思った。
 遠くて遠くて手が届かないのに、明るくて目を離せない。

「…どうしていいのか、分かんなくなるんだ」

 良質な愛情を浴びるように受けて育ったような、その天性の明るさ。
 届かない、自分にはないもの。だから惹かれた。
 届かない、白い手。
 握る手首が少し早い脈を伝えてくる。
 ゆっくりと、それを壁へと押さえつける。抵抗はなかった。
 呼ぶ声がする。
 首を絞めては呪詛を吐き、結局殺せずに最後にいつも悲しげに泣く人の。

「笑ってて欲しいのに、オレがいるとアンタは泣いてばっかいる」

 身じろぎした拍子に、足下でちゃり、という音がした。
 ポケットに入れたバングルの、
 ―――違う、あれは義足の金具の音だ。
 ふくらはぎから下のない白い足、
 その曲線を千切って連結する無機質な補助具の。

「アンタなんて、」

 届かないのなら、

「アンタなんて、どっかオレの知らないとこで幸せになってればいいんだ」

 近くでそれを見ているのはきっと寂しい。
 けれど遠くで幸せでいるんだと思い込めたならきっと自分も幸せだ。
 …そうでしょう?



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