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【11】てのひらの闇(後編)



「アンタなんて、どっかオレの知らないとこで幸せになってればいいんだ」




 
 大きな瞳に水の膜が張った。
 僅かな光を乱反射させて光ったそれがみるみるうちに膨れ上がるのを、江間はどこかモニタ越しに眺めるような感覚で見つめていた。
 透明な涙は、蜜琉が瞬きをした瞬間にほたりと落ちた。

「…わたしはいらないの…?」

 唇が震え、泣き出す直前のかけそい声が呟くように問いかける。
 いっそ幼いと形容してもいいほど直球で飾らないその呟きは、だからこそはっと胸を突かれるような響きを帯びていて、普段の江間なら驚いただろう。
 けれど、江間は笑う。いるはずの蜜琉は見えていなかった。どす黒く激しく、とても冷たいものがてのひらから逆巻いて体を支配し、目を曇らせる。
 哂う。
 だって可笑しいじゃないか、いらないの、なんて。
 だって。

「…アンタが欲しいのは、オレじゃないでしょう?」

 死んで何年たっても、焦がれて焦がれて仕方ない相手がいるでしょう?
 ぐ、と彼女の口元が嗚咽を堪えるように締まった。奥歯を噛み、それでも殺しきれずに漏れた嗚咽。
 江間は瞬く。泣いている。何故? ああまた亡者を想って泣いているのか。
 不思議だ。オレをそいつだと思えているならそれで問題ないのではないか。
 オレが良将だと本当に思えているのなら、幸せになってくれたっていいじゃないか。

「…何で泣くの、」

 首を傾げた。右手は依然蜜琉の細い手首を抑えたまま、空いている左手で濡れた頬をそっと包んだ。江間の左手首に目を止めた蜜流が、バングルが嵌まっていない事に気づいてさらに眉をゆがめたのには気づかない。
 濡れた頬を親指で拭ったのに、自分の手には泥がついていて白い頬が汚れてしまった。ぬぐってもすぐにまたこぼれていくので、目元に唇を落とした。

「殴らねェの?」

 不思議だ、いつも自分から触れるとひどく跳ね除けるのに。
 頬についた薄い泥を舐めとり、きゅ、と噛み締めた唇を避けて口元に口付ける。呆然と自分を見上げる瞳をまともに見返して江間はひっそりと微笑んだ。
 泣かないで、と『泣いているその人』へ向かって笑いかける。小さな頃から繰り返してきた動作をまた繰り返す。
 涙の軌跡を辿るようにして、頬から顎へ、白い首筋へと唇を落とす。ひっく、と一度だけしゃくりあげるように震えた喉に目が止まった。柔らかい肌に軽く歯をたてると、びくりと体が震えた。急所。ここを食い破ったら死ぬ。

「…代わりになって、アンタが幸せになれるんなら、それもいいかなって思ってたんだ。オレに向けた笑顔じゃなくても、アンタが笑うのは好きだったよ」

 大人ばかりの環境で、無知のままでいるのは難しい。付属の施設で暮らしていれば、噂話は嫌でも耳に入った。自分の父親と彼女がどんな関係だったか知ったのはまだほんの幼い頃だ。けれども口さがないそれを越えて、彼女に寄せられる同情の声は大きかった。ネロも同じだった。江間の大事な二人―――どうあっても届かない二人の、心の拠り所だったその男。強い強い信頼、固い固い絆。
 代わりがきかないのは承知の上で、それでも無理矢理代わりを求めなければならなかったほどの大事な存在。

「なれるんだったらなりたかった、良将のいる位置が、オレはずっと羨ましかったから」

 途中から別の国の言葉が混じり始めたことに江間は気づかない。
 蜜琉に触れながら、寒い、と思う。ひどく寒かった。

「本当は知ってたよ、どうやったってオレはその位置には行けないって随分前から知ってた、」

 オレは魔法使いになりたくてなれなかった、痛いところを取り除いてあげられたら、そのときこそ自分を見てくれると思ったんだ、ありがとうって感謝してくれる、オレじゃないと駄目だって言ってもらえるんじゃないかと思っていた。
 痛いところを治してあげたいという、子供の単純で傲慢な思考。その裏にある願望を、漆黒は見抜いた。無償の献身ではなく、愛を乞うがゆえの願い。だから哂ったのだ。
 いいだろうなってみるといいさ、そんなご大層な存在になれるもんなら。皆から感謝されて? それで? そうなってみてようやくお前は気づくんだろうよ、それでも欲しがられているのはお前ではないことに。本当に馬鹿な子供だ、人の気持ちなんてどうすることもできねぇよ。
 そんなことはもう知っている。
 ――――寒い。
 頬に包んでいた左手を、長い髪をよけて後頭部に廻して抱き寄せて髪に鼻先を埋めた。

「知ってたよ。知ってた…」

 ――――忘れない、まだ覚えている。行かないで。側にいて。

 目を閉じて、いつものように名前を呼ばれるのを覚悟した。何となく、それは自分の傲慢への罰なのだと思っていた。お前ではないという宣告。断罪。
 何も与えられない分際で、自分を見て、などと、誰が言える?
 不意に体が引き寄せられた。空いていたほうの手でかき抱かれたのだ、と気づいて驚いた瞬間、耳元で嗚咽混じりの声が名前を呼んだ。


 ――――ヨシタ、


「良将ちゃん…」


 寒気と熱が電流のように背筋を走った。
 瞬時に我に帰り、江間は凄まじい勢いで飛び退る。一気に跳ね上がった心拍数に息が上がった。瞠目する。視界が急に開けて目の前の人物が―――、

「――――あ、」

 何をしていた? 誰を見ていた? 今、自分の前にいるのは誰だ?
 知った顔知っている声、蜜琉だ。泣いている、自分が泣かせた。
 自分はこの人を大事だと、
 何よりも守りたいと、思っていたのでは、なかったか―――?
 衝撃で後ろに下がったまま立ちすくむ江間に、蜜琉が一歩近づいた。

「良将ちゃん、」
「止めろ」

 名前を呼ばれてまた心臓が強く打った。制止の声は震えていた。
 硬直したまま体は動かない。今度は逆に追い詰めるように、蜜琉がゆっくりと距離をつめる。手を、伸ばす。

「良将ちゃん、」
「止めて」
「良将ちゃん、」
「お願いだからッ…―――ねェ、」

 名前を呼んで欲しいと、自分を見て欲しいと、ずっとずっと切望していたのではなかったか? なのにどうしてこんなに痛む。
 目を逸らそうとする両頬を、蜜琉の指が阻んだ。ひどく悲しげな顔で、それでも視線を合わせて、江間の目を覗く。

「―――あたしをみて、」

 オレを見て。 
 どこからか聞こえた声が重なって、鳥肌が立った。
 頬を包んだ手が下へと滑り背中に回った刹那、強く抱きしめられる。暖かい体と涙混じりの声に、急激に現実に引き戻されて愕然とした。

「あたしを、見て」

 見ていなかったのは自分のほうだ。
 幻影に囚われて目の前の人を傷つける。あれほど忌避していたことと、全く同じ事をしているじゃないか。
 江間の胸に顔を埋めて蜜琉が泣いている。名前を呼びながら、あたしを見て、と訴える。
 自分を見てくれたなら、それできっと幸せだと思っていた。向き合って初めて生まれる痛みもあることは知らなかった。
 考えてもみろ、こちらにいる人たちの誰が自分を亡霊と重ねた? いつだって名前を呼んでくれていたじゃないか。
 届かないと思って、勝手に線を引いていたのは自分だ。
 今知った。
 思い知った。







 きつくしがみついたまま、蜜琉は静かにしゃくりあげていた。
 江間は蜜琉の肩に軽く顎を預けたまま、しがみつかれるがままにじっとしていた。未だ内面では静かに混乱は続いていたが、少なくとも先ほどまでの荒れた感情は消えていた。ここ数日目の前をちらついていた記憶の幻影は、今は不思議と遠かった。
 寒い、と思う。
 蜜琉にしがみつかれている部分だけが暖かい。
 6月にもこうして泣き止むことを待っていたな、と思い出す。喪失に戸惑い、均衡を保とうとして上手く出来ずに困惑していた人。あの時は一度吐き出して整頓を手伝う者が必要だろうと思ったから、手を伸ばした。
 今回は違う。誰か助けてと救助を求める、切実な泣き方とはまた違う。煮詰まった者が流す、痛々しく透明な涙だった。
 そんな風に泣かせているのは他ならぬ自分だというのに、蜜流の腕はまだ江間の胴体にしっかりまわっている。
 泣かせた当人に、何故こんなにしがみついているのだろう。
 もぞ、と身じろぎして蜜琉が江間の胸から顔を起こす。何か訴えるように見上げられて困惑する。

「…なんで泣いてるの、」

 先ほどと同じ台詞とは気づかずに再び口にする。同時に、掠れてはいたが自分の声がいつものそれに戻っていることに気づいて苦笑した。
 目を伏せてまだぽろぽろ泣いている蜜琉は、すん、と小さく鼻を啜る。

「わかんないわよぅ」

 良将ちゃんのばか、と拗ねたような響きで小さく呟かれた。








 冬の夕暮れは、日が落ちるのが早い。あっという間に暗くなった道を、手はつながずに指先だけ触れ合わせる距離で蜜琉と並んで歩く。
 落ち込んでいる際に自分が何故『てのひら』を気にするのか、江間は分からない。ただ平時は意識することもなく普通に他者に手を伸ばすことが出来るので、気になり始めたら沈み始める兆候だとは思っていた。
 そういえば、と思い出す。何度か蜜琉と2人で遊びに行った時、落ちてもいないのに江間は自分の欠落が気になった。手をつなぐ代わりに蜜琉は指を絡めて笑った。彼女といるといつもどこか痛んで、同時に痛いことなど何もないような気がした。
 この人が好きだ。
 何度も思ったことをもう一度思う。
 大通りまで出ると、蜜琉がすっと離れた。

「ここまででいいわ、」

 遠慮というよりも、大丈夫だから今日はここで、という響きを江間は感じ取る。まだバスも電車も動いているし、というので頷いた。江間もまた、今は一人になりたかった。
 気をつけて、と言うと蜜琉はほんの少し微笑んで、視線を江間の左手首へ落とした。無意識だろうその意味を感じとり、バンテージだけの手首を軽く上げて見せた。

「…壊しちゃった、」

 虎目石の嵌まった、銀のバングル。
 故意にやったわけではないが、割れた時ほとんど動かなかった自分の感情を思い出すと、それはひどい罪悪のような気がした。
 ひどい? それこそお笑い種だ、さっきこっぴどく傷つけたのは誰だ。
 気遣って追いかけてきてくれた人に対して、何を言って何をした? これで距離をとられても、自業自得というものだ。
 自嘲に目を伏せた江間とその骨ばった手首を交互に見た蜜琉は、少し考えるようにしたあとに、黙って髪飾りを外した。背中に落ちて流れた豊かな髪に一瞬気を奪われていると、手首をとられて何かはめられた。

「――――?」

 日は沈んだにも関わらず、わずかな光を拾ってはきらきらと乱反射させる、蝶を象ったコンチョ。先ほどまで蜜琉の髪を飾っていたそれ。

「また明日、ね?」

 自分の不安を見抜いたように約束をくれる。
 約束や誓いに対して割合冷めた認識を持つ江間にも分かるほど、それは約束という名を持った安心だった。
 本当に敵わない、と思いながら微苦笑した。

「――――ン、」

 また、明日。


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